「戦争遺児の体験を聞く集い」開催 12月17日(日)

2023年

日時:12月17日(日)10時~12時
場所:鹿児島市市民福祉プラザ5階 小会議室3.4
参加者:13名

1)吉見 文一さん (戦争体験を語り継ぐ遺児の会)

吉見さんは、父親がパプア・ニューギニアで戦死した時の状況を詳しく知らせてくれた上官の手紙と、父親が戦地から吉見さんのお母さんへ送った遺書を読んでくださいました。
また、これまで高校教師をしながらも生徒に戦争体験を話したことがなかった自分が、話すことになったきっかけとなったお孫さんのスピーチ文も紹介してくださいました。(知覧からの平和へのメッセージ・スピーチコンセントで受賞、「70歳で父と呼べた日」と題して祖父、吉見文一さんのことを語られた内容でした。)

参加者は、吉見さんが読まれる戦地からの手紙に静かに耳を傾けていました。
その後の質疑等では、幼い子供を残して、死んでいかねばならなかった吉見さんのお父さんの気持ち、残された吉見さんのお母さんと文一さんを思う感想が多く聞かれました。参加者の中には、自分の親族が南方で戦死し、遺骨もなにも帰って来ていないという方の話もありました。

2)赤崎 雅仁さん (戦争を語り継ぐ集い 有志)

赤崎さんは、父親を満州で戦病死、母親は戦後八路軍の被服廠に留用され、結核を患い、病死されました。(詳細については以下をご参照ください。)
赤崎雅仁さん 詳細プロフィール記事

両親を失い、弟さんを養わなければならなかった赤崎さんは、八路軍のたばこ工場の総務課で官庁間の使送便の仕事に就かれました。働くうちに、中国語が話せるようになり、読み書きも出来たために、上司から読み書きの出来ない中国人へ読み書きを教えてほしい、と言われたそうです。

そのため、ある日人民日報に日本へ帰る引揚げ船に乗る人の募集記事を見つけ、帰ってくることができたそうです。勤めていた工場長さんや同僚の人たちは良い人で、お別れ会をしてくださったそうです。

戦争による悲しみや憤りを多く語ることのない赤崎さんですが、その後の生き方は、戦争は二度としてはいけない、という思いを強く持ちながら生きてこられたのではないかと思います。

3)質疑・その他

参加者から、「防衛費が増えていますが、増やさなければならないのでしょうか?」という質問がありました。
私の意見は、防衛費を増やすことが決して抑止力にはなり得ない、防衛費増加に伴う防衛力強化は、逆に相手への威圧力となり、相手も一層防衛力を強化する体制を取っていき、お互いが人類破滅も可能とする武器兵器を所持していく競争になっていく、と思っています。

しかし、相手国から責められないためには、防衛費を増やし、防衛力を強化することも必要、と考える意見を持つ人もいます。

意見が違う人とも、お互い何故そう思うのか、ということをじっくり話し合う機会も持つことが、一番大事なのだと思います。

戦争の戦闘は終わっても、ずっと戦争による苦しみや悲しみを抱える人々がいるのだ、ということを今日のお話をしてくださった方々は、私たちに教えてくださいました。

戦争をしないためにはどうしたらいいのか、戦争を起こしてしまう人間存在とは一体何なのか、自問自答することが大事なことだと思います。

今回は、「靖国問題とは」という資料を参加者へお配りしました。この資料は、真宗大谷派東本願寺が2002年(平成14年)7月1日に出版した月刊誌「同朋新聞」の一部です。

私は、真宗門徒して、親鸞聖人の教えを聞く一人として、日本の戦争のために人を殺すことを強いられ、殺されなければならなかった兵隊さん達に慰霊と感謝を捧げることには疑問を持っています。

それよりも、戦争遺児の方の話を聞きながら、強く確信したことは、悲しみと怒りと共に、戦死者の方々を追悼し、二度と戦死された方々を戦争賛美に利用してはいけない、ということです。

東本願寺のお坊さんだった植木徹誠うえき てつじょうさんが出征する門徒さんへ送られた言葉です。(植木等さんのお父さん)

戦争というのは集団殺人だ。それに加担させられることになったわけだから、なるべく戦地では弾のこないようなところを選ぶように。周りから、あの野郎は卑怯だとかなんだとかいわれたって、絶対死んじゃ駄目だぞ。必ず生きて帰ってこい。死んじゃっちゃあ、年とったおやじやおふくろはどうなる。それから、なるべく相手も殺すな。

「真宗大谷派・戦時下の抵抗者」 より





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