『昭和20年7月27日 鹿児島駅空襲』を次代へ伝える・知る ~長田中学校の地域歴史研究から~ 2021年7月24日

2021年

鹿児島駅近くにある長田中学校で、歴史研究会を結成している五反田聡先生と一年生の男子生徒さんに
長田中学校及びその近辺の歴史的説明を交えながら、1945(昭和20)年7月27日の鹿児島駅空襲について発表していただきました。

 はじめに 現在地 長田中学校の歴史的変遷

1 琉球館 
2 興正寺・営林署
3 鹿児島高等商業学校(昭和7年~昭和19年)
4 専売公社たばこ乾燥場
5 鹿児島市立長田中学校

「長田中校区について」
五反田聡さんが作られた冊子です。とても分かりやすく、現地・文献調査もしっかり確認でき、歴史資料としても活用できる読み応えのある内容です。関心のある方はお問合せフォームから。
(2022年4月に宮之城中学校へ異動されました。) 

1945(昭和20)年7月27日 鹿児島駅空襲について

空襲体験者からの聞き取り調査の発表はありませんでしたが、戦時中の写真や資料を示しながら、当時の状況を説明されました。

「戦争は永遠の悲劇 鹿児島駅被爆の日~爆弾の下に生き延びたある駅長の記憶」

という本をもとに文化祭(11月下旬)で鹿児島駅空襲時の様子を2年生が劇で上演する、という話をされました。

本の著者は、当時鹿児島駅指導助役で勤務していた白石虎信さん。戦時中の鹿児島駅業務の様子を中心に、駅で起こった出来事の実体験を綴っておられます。鹿児島駅を本駅として、旅客業務を慣れない若い女性駅員たちが一生懸命行う様子や、出征兵士、それを見送る家族の姿の日常が描かれています。

まとめ

五反田さんが、「平成時代の中学生の生徒たちも、時代が違えばこんな状況になると感じてくれたのではないか。被災者の肉声といった一次資料が風化していく。自分の生徒一人でも語り継いでくれたら嬉しい」という言葉に、
一緒に発表した生徒さんが、「若い人の間でも戦争を知らない人は多い。それを知った僕がみんなに広めていこうと思う」と応答してくれました。

最後に

参加されていた遺族や参加者の感想を聞いた後に、鹿児島駅の慰霊碑へ向かいました。
右文字をクリックしていただくとご覧になれます。「鹿児島駅空襲を想う」

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