開催中の「シベリア抑留絵画・満州切手展」では、活動資金のための『本、販売コーナー』を設けています。そこでは、戦争体験記録集や寄贈された本などを販売しています。
先日、見学に来てくださった30代の男性が、その中から「夏草」という本を買ってくださいました。
次の日、再び訪れた彼は、口を開いた途端に、私に、
「夏草を読まれましたか?僕は、鳥肌が立ちました。」
と両手を交差させ、上腕部をさすりながら、恐怖を感じた様子を表してくれたのでした。
まだ、読んでいなかった私は、恥ずかしいながらも、鹿児島の空襲が描かれた小説を読んで、当時の様子に疑似体験してくれるほどに感じてくれた様に心が動かされました。
その彼に改めて文章で感想を寄せていただきました。
「夏草」を読んで
上町サロン白い蔵で開催中の「戦争の遺物遺品展」で販売されていた単行本「夏草」を、1949年の芥川賞の候補作品だったという紹介に惹かれて、手にとりました。
中学生の主人公の1945年3月から8月14日までを描いた、50数ページの本文の他に、出版に至った経緯や解説、および芥川賞についての選評が収められています。
たった5か月の話ですが、その間に、主人公が家族や友人と散り散りになり、鹿児島が大きく変わっていく様子が描かれます。
とめどなく繰り返される空襲の中で、ほんの少しのタイミングの違いで、無残な姿で亡くなっていき、ろくな弔いもされない人々。
鹿児島駅中心に上町の様子も多く描写されており、鹿児島駅から500メートルも離れた専売公社の赤レンガの壁に、電車の車輌が突き刺さっていたという描写にはぞっとしました。主人公の生活は、空襲を避けながら、ここで死にたい、という場所を求める繰り返しで他人とのふれあいらしい触れ合いもなく話はすすんでいきます。
今の私たちの生活はかけ離れたこの同情心をもつことも難しい人生があった、また、広大な範囲が破壊され焼け野原になったこの時から、まだ77年しかたっていないという事実があらためて気持ちを重くさせます。
ここから現代にいたるまで、まちをつくりあげてきた人たちの努力と、今平和な時代に生きていることの貴重さに思いをはせ、今の日本を大切に守っていくために私たちがしなければならないことをあらためて考えさせられる一冊でした。
「戦争の遺物遺品展」でも、第二次世界大戦時の悲惨な人生に多く触れることができますが、むしろ私は、戦争遺物の簡素さに悲しみを感じました。この装備と組織で日本はどこに向かっていたのか・・・。生命力の旺盛な夏草は、1945年、鹿児島に悲しみを大きく育て、今も夏になるとそのことを私たちに教えてくれているのかもしれません。
夏草とは・・・
夏に生い茂る草のこと。 抜いても抜いても生えてくる雑草や、山野をおおう青芒、萱のたぐい。 炎天下、強い匂いを放ち、雨が降らなくても枯れることもない。(ウィキペディアより)
コメント