「被爆2世・3世学習交流会」 参加 10月26日(日)

2024年

10月26日(土) 午後1時~午後3時
鹿児島市勤労者交流センターで、原爆被爆の実相、被爆者の戦後のあゆみを学びながら語り合う会が
開かれました。参加者は9名。2名の参加者以外は、被爆者と被爆2世の方々でした。

まずは、前半「鹿児島県原爆被爆者2世の会」会長の大山正一さんが、鹿児島県の原爆被爆者の現状やこれまでの活動、そして、学校などで子供たちに話をされるために作成されたパワーポイントの資料をもとに、お話をしてくださいました。後半は、岡元均さん(会員)の進行で、各参加者から今後の活動への提言や感想が述べられました。

鹿児島は、地理的に広島や長崎から遠い(感覚的に)のに、「何故、被爆者がいるの?」と思っていましたが、それは戦時中、師範学校や女学校の男女生徒さん達が、学徒動員で長崎・広島へ行かされ、そこで被爆し、鹿児島へ帰って来た人たちがいたからだそうです。

戦後、鹿屋の女学生の中には、同級生の白木の骨箱を持ちかえって来た、という体験談もあるようです。

被爆者の方々の苦しみは、直接受けた被爆の身体的苦痛よりも、その後の人々の「偏見と差別」により受けた苦しみのほうがひどく、それは今でも続いている、ということを、参加者の話を聞きながら感じました。
以下、当日の配布資料から一部、引用させて頂きます。

被爆者の苦しみ

偏見と差別
戦後12年間、被爆者に対して医療はじめ、何の手助けもありませんでした。この間に多くの人が亡くなり、被爆者は「人にうつる」「早く死ぬ」「ひどい病気になる」「子供が出来ない」など、原爆被害の正しい情報が隠ぺいされたため、偏見が生まれ、差別されたのです。こうしたことから、結婚が破談になったり、結婚後被爆者とわかると離婚されたり、結婚そのものをあきらめ、子供のつくらず、子供が出来ても健康体であるか、生まれた後も病気をしないか、等心配の種は尽きないのです。地域によっては、今現在も続いています。被爆者のみならず、2世においてもおきています。

被爆者の願い

・核兵器があると、使われる可能性が非常に大きい。(間違い・テロなど)二度と、私たちのような被爆者を生み出さないためにも、核兵器が一日も早く全世界からなくなってほしい。
・戦争は人格さえも変え、人が人でなくなる。
・戦争は破壊のみ、何も得るものはない。
・戦争は絶対仕掛けてはいけない。
・戦争は絶対起させてはいけない。
・原爆は、人間が人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許しませんでした。
・被爆者は核兵器がすべてなくなることを心から願い、生きてきました。
・皆さんも広島・長崎のことをしっかりと勉強して、どう生きていったらよいか、しっかりと話し合ってほしいと思っています。

最後に

もし、いじめられたら(攻撃されたら)、相手に仕返し(反撃)しようと思う。
仕返しをしたら、もっといじめられる。いつの間にか人数(戦争に加わる国)も多くなり、どんどんいさかい(戦争)が大きくなってしまう。いじめ(戦争)の始まるきっかけは些細なことも多いのではないでしょうか。

そうしたことにならないために
・相手の立場に立って、自分と相手を置き換えて考えてみてください。
・外見や性格などで偏見を持ったり、差別をしたりしないでください。
・家族でたくさん会話をしてください。
・学校の仲間、先生方とよく話をしてください。
相互理解が平和への一歩だと思います。

感想     山下 春美

2024年度のノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が受賞されたことで、原爆に対する関心は高まっていると感じられます。現に、私自身もこの会に参加しようという気持ちが起こりました。

戦後80年経った今でも、戦争の被害で苦しんでいる方々がいることを知り続けましょう。

「戦争を語り継ぐ集い」では、11月30日(土)10時~12時、鹿児島市民福祉プラザ5階中会議室1で、

「原爆被爆の2世のお話を聞く会」を開催します。お話は、今回司会をされた岡元均さんです。

コメント

  1. せしたみつる より:

    原爆被害の方々は、1世の方は直接の惨禍を受けた上、2世、3世の方もいわれなき差別に苦しまれたことを思うと胸が痛みます。
    無知から起こった風評被害とはいえ、あまりにも理不尽です。
    私はアメリカによる原爆投下は、日本にはまったく責任はなかったと思っています。
    原爆にはいろいろ言いたい事を持ってます。