昭和20年8月15日「玉音放送」で終わっていない日本の戦争

2024年

 私の購読している南日本新聞の一面の右上には、「きょうの歴史」というタイトルの欄があり、過去の今日、どんなことがあったのか、教えてくれています。 山下 春美

79年前の8月20日、起こった事。(南日本新聞からの引用)

真岡郵便局で集団事件
 南樺太(現ロシア・サハリン州)の真岡町にソ連軍が侵攻し、真岡郵便局で電話交換手の女性9人が服毒自殺した。退避を拒み、最後まで業務を果たした。北海道稚内市に63年、慰霊のため「九人の乙女の碑」が建立された。

 この事件は、有名なので知っている人も多いかと思います。私も知ってはいましたが、それが79年前の今日だと意識したのは、初めてです。
参考資料:ウィキペディア「真岡郵便電信局事件」
     NHK戦跡ー薄れる記憶ー自決した真岡郵便局の女性たち 同僚の記憶

 日本では、昭和20(1945)年8月15日「玉音放送」があった日が、終戦日と認識されていますが、ソ連との戦いが8月15日以降、満州、千島列島では続いていた事実を後世にしっかりと知らされていないのではないかと思います。

 日本は、連合国に対して「ポツダム宣言」受諾をしたはずなのに、何故、満洲、千島列島でのソ連との戦闘が始まり、続けられ、8月15日に終わっていないのか?

 何故、真岡郵便局の女性9人は、死ななければならなかったのか?
 満洲の開拓団の人々は、何故、あんなに悲惨な目に遭いながら、逃げまどい、残留孤児を生み出すこととなったのか?

 今の私たちが住む日本は、そのような歴史を背負った国です。
その国を愛し、大事に思うのであれば、過去の歴史も自分の今の生活と同じように大事に見つめ返す営みも忘れてはならないのではないかと思います。

 

 

コメント

  1. せしたみつる より:

    8月20日 樺太、真岡の郵便局であの悲惨な事件で9人の若い乙女の命が消えてしまった、残念な日でしたね。
    あってはならない事でしたが、日本にとって、また人類にとって悔しい事件でした。

  2. 春光 より:

    コメント、ありがとうございます。私はこのような事件があったことなど、この集いを始めるまでは知りませんでした。8月15日で、戦争は終わったのだと思っていました。過去の事実を知らなすぎることは、恥ずかしいことです。