第四章
激動の年
昭和20年に入ると満州では、大東亜戦争の戦況変化を受け、すでに関東軍は戦力を南方軍に移駐し始めていたため、兵員数は減少していたらしいのだが、会社で取っていた満洲新聞や、満洲日報では関東軍は戦線拡大のため、兵員を南方に転戦させるも、ここ満州では盤石の態勢をとっていると書いてあった。
私は尋常高等小学校しか行ってなかったので、最初は学校で習っていない漢字はあまり読めなかったが新聞を読むようになり、わからない漢字はほかの日本人に聞きながら少しずつ読めるようになっていた。
しかし徐々に在満日本人に兵隊の召集がかかってきているという噂が広まり始めた。
私も二十歳の時に内地で徴兵検査を受けて甲種合格だったが、まだその頃は軍縮の時代で私は甲種合格十一番だったので、十番までが現役の志願兵で私は現役兵としての入営はなくて済んだ。
今は最強の関東軍が満州防衛をしているので、まさか軍需工場の昭和製鋼所の日本人労働者に、しかも30歳になろうとするロートルで、しかも長男の自分が召集されることはあるまいと夏江が安心するように話していた。 (※ロートルとは、中国語で「老人」)
夏江が召集を心配するのも当然で、昨年の夏くらいから米軍のB29が大挙して鞍山にも空襲を仕掛けてくるようになっていたのだった。
さらに夏江を不安にしていたのは、少しずつ咳き込むようになっており身体も疲れやすく、たまに寝込むこともあったからだ。
それでも夏江は社宅の近辺の商店で買い物をしたりしながら、日々の家事をこなして生活していた。
そんな中でほかの日本人の奥さんたちとの話題で、誰々に赤紙が来たとかの話を小耳にはさむようになっていると言っていたのだった。
私は若い青年たちが徴兵検査を受けた話に尾ひれがついて、そのような話に大きくなっていったのだろうと思ったし、夏江にもそのように話した。
しかし四月に入ると、それはだんだん現実になり軍需工場である昭和製鋼所の日本人工員の召集も例外ではなくなってきたのだった。
去年の五月頃は、昭和製鋼所の中庭に咲いているサクラを見る花見を楽しんでいたのだが、今年はそういう浮かれた気分になれないし、時局がそんな悠長なことを言ってられない雰囲気にしていた。
日本人工員で若手の社員が、ある日突然仕事に来なくなる事がぼつぼつ現れ始め、噂によるとどうも赤紙がきて召集されたらしいとのことだった。
我が班の川島君も二日ほど前から姿が見えなくなった。
会社の上層部は知っていたはずだが、当時の召集者の中には近隣所にも極秘扱いで入営して行った者も少なからずいたという。
副工場長の岡上さんが川島君たちが召集されていったという事を知っていたかどうかはわからないが、私には召集者の事について話すことはなかったのだった。
去年の花見は楽しい行事だった事を思い出す五月だったが、今年はもうそうはいかなかった。
五月に入ってすぐの頃、朝出勤したら岡上さんにも召集令状が来たらしいと聞いた。
心配になり確認のためと、もし本当なら激励も含めてと考えて、岡上さんの班に行ってみた。
心配になったのは、次は自分もかという不安もあったのだった。
「岡上さん、赤紙が来たと聞きましたが本当ですか?もしそうならいつ出征ですか?」と、聞くと
岡上さんは「10日に入隊せよ、との事でした。」と答えてくれたが、「そいでお父さんには知らせんと?」「すぐハガキを出します。」と、だけ答えて物思いに耽っているようで、私は「武運長久を祈ります」とだけ言って、それ以上の話は出来なかったのだった。
満州人にも朝鮮人にも優しく、人と争いのできるような人ではない岡上さんに兵隊が務まるだろうかと心配になった。
こんな風じゃ自分にも赤紙が来るのは時間の問題だと思い、帰ったらこの事を夏江に語って心の準備をしておこうと家路についた。
帰り着いたら夏江は寝床に横になっていた。咳が続いて身体がだるそうである。
早速「岡上さんにも赤紙が来たようで、10日に入隊命令らしい。どっちにしてもオイにも赤紙が来るじゃろ」と伝えると、悲しそうな目をして「どうなりますか?」とだけ聞いてきた。
その事には二つ答えようと思った。
「オイは大丈夫。殺されても死なないような身体で大丈夫だ。ただ夏江はそうはいかん。明日にでも附属病院に行って治療をせんといかん。」
ほかにも今後のことを語って、その日は就寝した。
翌日の診療で”肺病”と告げられ、隔離のため仮入院する事になった。
しかし、私にも召集令状は近いうちに届くかもしれないという事で、時局柄早々に夏江は病院に頼んで退院させてもらい、自宅療養としてあまりほかの人と接しないようにとの注意と薬をもらって帰ってきた。
それから仕事に出かけた私は、班でまた召集者の話を聞いた。
青森出身の八巻正一(やまきしょういち)君が召集されたようで、これもまた極秘扱いでの出征だった。
八巻君は八戸の農家の出身で六人兄弟の一番下の男子で、もともとは満蒙開拓団で渡満するはずだったが別の一家が急に渡満することになり、独り身だった八巻君は昭和製鋼所の募集に応募して採用されることになったと教えてくれた。
そうやってひとり、ひとりと召集されて自分の番もきっと近いだろうと覚悟していた。
一方家では、田所さんが夏江の身体の心配をして、おかずを作って持ってきてくれて入り口に置いてくれたり、また夏江を慕って時々遊びに来る中国人の子どもがいたが、病気がうつるといけないので帰した、などと、帰ってきたら夏江が話してくれた。
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