骨壺にはいっていたもの  戦時中からの帰還

2024年

先日、親しくしている知人Mさん宅の再火葬のお手伝いをさせていただきました。

どういう内容かと言いますと、納骨壇に収めてあるご先祖様の骨壺を取りだし、火葬場で再び
火葬して、一つの骨壺に収めなおす、というものです。

今回は、Mさんのお祖母さん、お祖父さん、お祖父さんの先妻さん(大正3年没)、ご先祖様、お祖母さんたちの息子さんの5つの骨壺を再火葬しました。

その中のひとつ、(手前左側の骨壺)は、Mさんのお祖母さんの息子さんで、Mさんのお母さんの弟さんの骨壺です。

その方は、Mさんの叔父さんにあたるのですが、命日が昭和19年の11月17日と記されてありました。Mさんが伝え聞いた話では、叔父さんは輸送船にのっており、沈没して亡くなった、とのこと。御年26歳。

私は、輸送船で沈没して亡くなった方の骨壺には、一体何が入っているのだろうと、大変興味がありました。
戦時中、南方方面で亡くなった方々の骨箱には、石ころや遺髪、あるいは何も入っていなかった、ということを聞くからです。

一体、叔父さんの骨壺には、本当に骨が入っているのか?

開けてみると、叔父さんの骨壺は、真っ黒な土のようなものが入っていました。

これが骨壺の中身でした。若干、何か骨のようなもの・・・・?

火葬後・・・火葬場の方から、
「くぎ?みたいですね・・・」と。

昭和19年11月17日に亡くなった、ということしか わからない 生まれて、死んでいってしまったMさんの叔父さん。

骨壺に入れてあったものは一体、何なのか・・・・。誰が、沈没した輸送船から持ってきてくれたのか・・・・

26歳・・・の息子を亡くしたⅯさんのお祖母さんの気持ち、弟さんを亡くしたMさんのお母さんの気持ち・・・

戦争だから、仕方がない、という言葉で、片付けられたりしてはいけない。
80年前の骨壺の中身が訴えていることに、私たちは耳を傾けなければならない・・

そんな思いで、私は、このくぎを持ち帰り、自宅のお仏壇に供えました。南無阿弥陀仏

コメント

  1. せしたみつる より:

    沈みゆく輸送船の中でどのような状況だったのでしょうね。
    だれもが空気を求めてもがき苦しむ中で、人は何を考えるのでしょうか?
    戦争を恨むのでしょうか?自分の運命だと諦めるのでしょうか?
    その叔父さまの運命とともにあった”くぎ”.のもたらす意味は?
    いづれも答えは出てきません。
    くぎも叔父さまも今は、仏様の元でゆったりとした時間を過ごしているはずです。
    供養していただきありがとうございました。

  2. 春光 より:

    コメント、ありがとうございます。戦時中、民間船も徴収され、撃沈されて、亡くなられたことは意外と知られていないように思います。http://www.jsu.or.jp/siryo/
    戦没した船と会員の資料館というのが、神戸にあるようですが、かなり多くの船と人が沈んで、亡くなられたことを知りました。もっと、調べていけば、Mさんの叔父さんのことも何かわかるかもしれません。