「通州事件」に関心を持ったきっかけ 瀬下 三留
通州事件について調べたいと思い始めたのは、9月に中国の深圳で日本人学校に通っていた、10歳の男児が中国人の男性に殺害された不幸な事件が発生した事がありました。
その原因は何だろうかと思うと、中国の反日教育の刷り込みによって反日になる事だろうし、日本側にも反中感覚もある。以前、私は南京事件を調べた事がありました。
中国が日本から被害を受けたという歴史です。日本はこの事件で散々叩かれています。では日本は中国から被害を受けた事件はなかったかというと、この通州事件が被害を受けた事件でした。
そこで、今度は通州事件を調べようと思いました。
しかし歴史は見方によって結果は変わるので、加害側からみた事件、被害側からみた事件と分析して書いてみることにしました。
通州事件とは
1937年(昭和12年)7月29日北京郊外通州で冀東防共自治政府保安隊が日本軍および日本居留民区を襲撃殺害した事件。
これほど猟奇的で残忍な集団殺人事件があっただろうか、と思うくらいの虐殺事件である。
1937年(昭和12年)7月7日、日中戦勃発後、日中に協力してきた冀東防共自治政府保安隊、約五千が日本側の警備の手薄を狙い29日午前3時過ぎより日本守備隊・特務機関などを襲い、日本人117名・朝鮮人106名計223名の居留民を殺害した。
死者の中には細木繁陸軍中佐(特務機関長)や冀東政府関係の日本人が多く含まれていた。救援に赴いた日本軍は30日午後4時過ぎ現地に到着、日本人98名・朝鮮人105名を救出した。
日本人関係家屋・財産は掠奪され惨憺たる被害を出した。
保安隊は日本軍と戦闘中の第29軍に呼応し、傀儡政府である冀東政府に反乱したもので、首謀者は第一総隊隊長張慶余(ちょうけいよ)と見られる。
冀東政府長官代理・池宗墨(ちそうぼく)は、12月24日北京大使館・森島守人参事官を訪ね、弔慰金・見舞金として総額120万円を提供する旨を通告し、本事件は解決した。
(国史大辞典第九巻)より。
保安隊が日本人居留区で行った殺害方法が、あまりにも猟奇的でありかつ残忍な行為であったため、保守系論客らが中国の「南京大虐殺」のプロパガンダへの対抗措置のように、集会や出版を繰り広げている。
次回は、通州事件の概要と報道について、保守派論点とリベラル派論点の両側を比較して述べたいと思います。
参考文献
「新聞が伝えた通州事件1937ー1945 」藤岡信勝 三浦小太郎 但馬オサム 石原隆夫
「増補新版 通州事件」
広中一成
「通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか」
藤岡信勝 三浦小太郎
「天皇さまが泣いてござった」
調 寛雅
「国史教科書」第7版
中学校社会科用
令和書籍
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