最終章
縁談ー芳子との出会い
あんさんは、母トメ方、脇園家の叔父にあたるが、父、末熊方に佐吉という同じ年のいとこがいる。佐吉は元々”瀬下佐吉”だったのだが、小山月江と結婚して養子に入ったたため、”小山佐吉”となってる。
佐吉は、時計修理の職人になっていて、堅実に商売を行っていた。
私が復員して半年くらい過ぎた頃、佐吉が「深志もそろそろ再婚したらどげんやろうか?」と、切り出してきた。
私も、いつまでもカカどん(母親)に日頃の面倒をかけるのは忍びないと思っていた矢先だったので、「オイもそう思っちょ。」と、言った。
佐吉は、芳子はどうだろうか、と言ってきた。
私は小さい頃からいとこの佐吉は知っていたけど、6才年下の妹は知らなかった。
佐吉は、早くして亡くなった父親、佐太郎に代わって、芳子に常々「年頃の男は少なかし、芳子ももう27才じゃ。嫁に行くつもりはあまりないと言っても、そげな訳にもいかん。」と、言っていた。
私は夏江のことを忘れた訳ではないが、いつまでもこのまま一人で58才の還暦を目前にしたカカどんに、メシの世話をさせ続けるのも良くないと思い、佐吉に縁談をまとめてくれるように頼んだ。
家に帰ってカカどんに縁談の事を話したら、「そりゃよか。はよ一緒にないやんせ。(それはいい、早く一緒になりなさい)」と、言ってくれた。
そうして昭和23年9月28日に、祝言の運びとなった。
祝言は、トメの本家である脇園宅で執り行われる事になった。
父、末熊は亡くなっていたため、父親の座である私の隣に、あんさんが正装で座ることになっていた。
芳子は、私と祝言まで一度も会った事がなかったので、正装しているあんさんを見て”この人が深志さんか”と、思っていたそうだ。
芳子もいくら兄さんの言葉とはいえ、よく見ず知らずの男に嫁に来てくれたものだと思った。
芳子を嫁にもらってから、さらに職人作業に邁進し、芳子にも甲革の裁断方法や、縫い糸に絡ませるチャンと呼ばれる松ヤニの練り方なども教えて、手伝ってもらっていた。
結婚を機にわが店を持とうと思い始め、ちょうど駅前通りにほったて小屋ではあったが、手頃な物件がありそこに店開きする事になった。
建物の裏手には小川が流れており、まるで川の上に建ってる小屋の佇まいだった。
芳子は、日頃はその川に洗濯物を持っていって洗っていた。
持っていくものは洗濯物以外に、タライと洗濯板、それにシャボン(石鹸)である。
その川で、婦人たちはさまざまな近所の噂話や、時には女だけのワイ談も飛び交い、その場は一種の社交場になっていた。
私の店の下の川でのやり取りだったので、聞こうと思わないでも聞こえてきていた。
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