第8章
民主聯盟の台頭
この頃、収容所の講堂に、右腕に「民主聯盟」と赤地に白く染め抜かれて、その下に黒字で「指導員」と書き加えられた腕章を巻いた、まだ若い、むしろ可愛い、といってもいいような顔をした現役初年兵らがあらわれた。
そして「この収容所舎屋は、スターリン大元帥閣下が、畏れ多くも、我々抑留者に蒙古共和国を通じて、貸し与えられた大事な建物だという事を、片時も忘れるな。」とスターリンの名を抜けば、旧軍隊の言葉の通りのまま我々に指示する事があった。
また「思想調査問員」という腕章を、右腕に巻いたソ連人女が査問に来た時もあった。
我々が整列して立っていると、女から号令がかかった。
「気をつけ、これから査問にかかる。休め!」と、女のロシア語のあと、通訳が話した。
民主聯盟の男たちが、その女を守るようにそばについて、鋭い目で我々を睨んでいる。
そして、「所属部隊名と名前、年齢をこれから調べて、ここでの労働によって思想改造が進んでいるかどうかを書き入れる。次の欄はここの収容所での教育に対して、学習態度を書き入れる。
両方とも七点以上か、片方が六点以上で、合計が十五点以上でないと思想改造教育を強化する。ノルマ強化と食糧配給減数という事だ。」
なんという事だ!
まったく予想していなかったので、ドキドキ緊張しながら女の発言を待った。
「只今から我々の調査に積極的に協力するように。現在の抑留中に自分をいじめた者、不当にパンや物資を横取りした者、暴力をふるった者、その他なんでもいいから民主的でないふるまいをした者がいたら、その者の名前を申し述べろ。思想改造欄に書き出せ。」
すると自分が受けた残虐なふるまいや、他人から又聞きしたリンチの様子を語った者もいた。
一通りの調査が終わると女の査問員は「これで予備審問を終える。」と言って次に「只今申告に協力してくれた者は、のちほど人民法廷が開かれた時は、法廷での告発人になってもらう。」
その言葉を聞いて、私は言わなくて良かったとホッとした。
ここで生きるため共産主義に染まったふりをする必要もあった。
一方煉瓦工場では、毎日の煉瓦作りのための団子の型入れ作業は、一日のノルマの20個から30個に増量されており、季節がめぐり、10月に入ると寒さの到来とともに殺人的な労働量になっていた。
とてもほかの人のことまで構っていられないギリギリの我が体力ではあったが、同郷の松崎君にはここの労働はもっとつらかっただろう。
できるだけ「キバレよ。」と声をかけて作業の流れを止めないように応援していた。
松崎君は「うん。」と、弱々しく作業しながら、かすかに返事するだけだった。
松崎君の班が松崎君のせいでノルマが達成できないと、連帯責任で全員の食糧が減らされるのである。
そうなると恨み節が松崎君に向かうことになる。
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