物語「約束の地」ー戦争を経験した父の人生ー④

2024年

第3章  

鞍山の日常  

 社宅は南一條みなみいちじょう24番地というところにあり、そこら辺りはほとんど日本人工員の住宅になっており、岡上さんもその住宅の一角の単身用の住まいに住んでいた。

 近所の方々は昼間一人になる夏江の心細い生活を慰めてくれたものだった。

 住宅も日本よりいい部分もあれば、不便な部分もあったがそれでも”住めば都”とはよく言ったもので、日が経つにつれ、だんだんと快適になっていった。

 仕事が終わると、社宅から2〜3分のところにある共同浴場に行って、熱いお湯に浸かって疲れを癒す事もしばしばあり、時には社宅の人と一緒に風呂に行って背中を流し合ったり、岡上さんとも共同浴場でばったり会ったりで、もうすっかり鞍山の住民になっていった。

 近所の住民の方とも付き合うようになり、特に懇意にしていたのが田所さんで、夏江とは気が合うようでお互いの家を行き来して、おかずや醤油の貸し借りなどもしていたようだった。

 その頃は内地と同じように、満州国協和会のもとで隣組も組織化されていた。

 職場である第二工場の方でも、岡上さんが工場長から屑鉄管理を厳しく言われるようになったと言っていた。原料の調達が逼迫してきているという事だった。

 内地の戦況についての噂話も少しずつ聞こえてくるようになっていたが、ここ満州では満州国を大日本帝国の関東軍が立派に戦って守っているので問題ないが、気を引き締めて大日本帝国のお国のために製鋼に励まなければならない状況だった。

 満州協和会から、夏江ら婦人たちもまた銃後の守りと言われて、厳しい年配者がいて生活上のことを理不尽に注意されたりすることもあり、田所さんと夏江はふたり、小声で笑いながらものまねして、こっそり楽しんでいたようだった。

 鞍山に来て、梅の季節も桜の季節も、そして、短い満州の夏も過ぎていくと長く厳しい冬の季節がやってきた。

 だんだんと異国の地にいることを忘れるくらいにこの地に慣れてくると、仕事仲間たちと冬の遊びである、スケートに興じるようになっていった。

 近くにある睦ヶ池という池は、冬場は天然のスケート場になり、夏江とも一緒にこの陸ヶ池に何度か行った。

 初めてスケート靴を履いて滑る夏江も滑るたびに上手になっていき、子どものように無邪気に喜んでくれる夏江の笑顔がことのほか嬉しかった。

 私は夏江にとって川内を離れた事が良かったのか、良くなかったのかわからないまま、昭和20年を迎える正月を昨年と同様、鞍山神社の参拝で迎えることになった。

 神社では神道の作法に則って、二礼二拍手一礼して川内に残している母トメや井上(夏江)の両親、そして我々が健康でいられますようにと祈願した。

 となりで夏江も長いこと祈っていたが、何を祈願したかは敢えて聞かなかった。

 その日はあまりに寒かったので、参拝を済ませたら「早よ帰ろう、早よ帰ろう。」とふたりで震えながら足早に社宅に向かって30歳と27歳の夫婦は帰っていった。

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