父から聞いた戦争中の話 (垂水市新城小学校時代のこと)中村 充子
父が102歳で亡くなってから10年が経った。生前、戦争中の話を息子たちが小学生の時、宿題でいろいろ断片的に思い出して聞かせていた。その時、私もそばで聞いていた。
父は垂水の新城小学校で6年生の担任をしていたので戦争には行っていない。でも、学校は兵隊さんの宿舎になっていたので、生徒たちは校庭にからいもを植えたり、山へたきぎ取りにいったりして勉強どころではなかった。
私の姉は、当時3歳で兵隊さんから食べ物をもらい、赤痢にかかり、ハチミツをなめさせ、命拾いした。
また新城小学校は海が近くてアメリカ軍の機銃掃射を受け、父母は私と姉を抱いてから芋つぼの中にしゃがんで、布団をかぶり、助かった。目の前の小屋にいた馬にあたり死んだとのこと。この話は息子たち2人とも大人になってからもよく覚えていた。私は、この時の父の心境を聞いたのを思い出した。
「かねてから俺は神を信じていなかったが、この時ばかりはナンマイダナンマイダと唱えていた」と。
戦争がだんだん激しくなり、新城にもアメリカ兵が上陸すると噂が流れて、竹やぶに隠れた。まさかり海岸には、茂みの中に木で作ったボードが隠してあったそうだ。父はこんな物で敵に突っ込んで行くのかと疑問に思っていた。
戦後、当時小学校6年生の生徒たちが同窓会をする度に招待され、80歳過ぎまで新城に行っていた。やっぱり、戦争中苦労をともにした絆が深かったのではと感じていた。
今、政治の流れは戦争のできる国へと危険な動きになっている。アイ女性会議でいろいろな運動をするようになって、今ならもっと真剣に父の話を聞いていただろうと悔やまれる。
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