「鞍山(アンシャン)」~私の知らない父の妻、ナツエさんに捧げる物語~ ③ 

2024年

親への感謝

 その頃の女子の進学率は十五%程度でしたので、両親には相当無理させたと思い感謝しました。

女学生の私たちも肉体と精神鍛錬のため、薙刀なぎなたが正課となっていました。良妻賢母が授業の主体で家庭科の授業で新しい知識を身につけることができました。その後の生活にどれだけ役に立ったかはわかりませんが、新しい友だちもでき、青春を精一杯謳歌した学生生活でした。

千台高女を卒業した後、私たちのような十五才を越えて二十五才になるまでの未婚女性は、地域の処女会に参加することが義務付けられていたので、私も修養や村の諸行事に積極的に参加していました。

幼なじみの不幸

 千台高女を卒業したあくる年、エッちゃんの家に不幸がありました。

お父さんの善兵衛さんが心臓マヒで亡くなったのです。 ひとりで藁を編んでわらじつくりの最中に倒れてこと切れたのです。あまりにも突然の出来事で誰にも何も言わずに逝ってしまったということが、エッちゃん達の後悔だったようです。

有村家の大黒柱の突然の死がこれからのエッちゃんの人生を大きく変えていったのでした。  
ちょうど、前年の水害で種モミも流されて、その借金も覆いかぶさってきたのです。
お母さんのヨネさんは膨れ上がった借金をひとりでどうすることもできなくなって、口入屋の源蔵の話に乗ってしまったのです。

 エッちゃんが竹之馬場の「料亭万客」に身売りされるけとになったのです。

エッちゃんも最初は嫌がって首を縦に振らなかったそうですが、泣いて頼むお母さんを見捨てることもできず、しぶしぶ同意し、ついには黙ってついていったそうです。

 そんな話も全部後から人の話で聞きました。
私はエッちゃんに会わずにさよならしてしまったことが寂しくて心残りだったのです。
私は何とかエッちゃんに会いたいと思って、ある日、勇気を持って、「料亭万客」にエッちゃんを訪ねてみることにしました。

「料亭万客」は竹之馬場の中でも最も賑わった店でした。

夜は酔客がたむろしているのでしょうが、私が訪ねて行った時間は閑散としていて「ここが竹之馬場か」と思う位静かな昼間でした。

 大きな門構えの入り口から入り、玄関先で「ごめんください」と中に声をかけてみました。すると、奥から少し出っぷりとした中年の女性が出てきて、私を見るなり、女の来るところではないと、言わんばかりにいぶかしげに私を見て「何かご用?」

「エッちゃん、いますか?」

「エッ?あぁ、琴美ね」「・・・」

琴美とはエッちゃんの源氏名だったのです。そこではエッちゃんは琴美になっていました。

「呼んでくるよ」と言い、女将は、そのまま後ろを振り向くと、奥に入っていきました。

遠い奥の方から小さくエッちゃんを呼ぶ声が聞こえてきました。

「琴美、琴美」「は〜い」懐かしいエッちゃんの声だ。

「お客さんだよ。女の人」やはり私は迷惑なお客のようです。

出てきたエッちゃんは私の顔を見るなり、一瞬顔がこわばったのが私にはわかりました。

でも意を決したようにすぐに微笑んでくれました。すぐに琴美の顔からエッちゃんの顔に戻ったのです。

 「外に出よう」と言ったのです。これは小さい時に遊びに行くとエッちゃんが口癖のように「外に出よう」と言ってた言葉でした。やっぱり変わってない、エッちゃんはエッちゃんのままだと思いました。

 二人でしばらく黙って歩きました。足元を野良猫が餌をねだりまとわりつくのも気づかないで歩きました。そのうち堤防のせきのところに到着し、そこに腰掛けた時、エッちゃんが小さく泣き始めました。

 「どうして会いに来たのよ」泣き声が大きくなりながら「こんなみじめな姿をナッちゃんに見られたくなかった・・・」「エッちゃんは何も昔と変わらない、立派に生きてるわ」私も精一杯エッちゃんへの思いを訴えたのです。いろいろ二人で話しました。仕方のない運命の事。でも諦めてはいけない。自分の幸せ。

 「後悔は無いわ。自分で決めたことだから」ひとしきり泣いたエッちゃんから微笑みが戻ってきた時、もう太陽が西の方向に傾いていました。

 よかった、会ってみて。苦界に身を投じてもやっぱり、エッちゃんは強い人でした。

 エッちゃんが後から少しずつ起きていた現実を語ってくれました。

「料亭万客」に入った当初は、庭の草取りや掃除、洗い物といった受注の仕事をさせられていました。それらに慣れてくると、店で作った弁当をお得意さんに運んだり、車で到着した客に車券を渡したり、表の仕事をするようになったのです。

 次第により、三味線や唄の稽古が始まりました。それらの芸事はエッちゃんは好きで、自分から進んで楽しく稽古をしたと言っていました。

 しかし、料亭には隠し部屋があり、特別な客がその部屋を利用しており、そこは「特別な仕事」が待っている場所でした。

そこから先の話はエッちゃんも口をつぐんでしまい、詳しく語ろうとはしませんでした。辛い経験をしていたのでしょう。私も何も言えずに、自然と涙が落ちていました。

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